地方豪族、槍支城堡のハオユーは死んだ。城堡に属する彼の部下たちが思ってもいなかったその結末は、報酬を値切られて足止めを食らっていた須走夏之梅にとっては当然であった。

 城下に現れた燃えるような橙色の毛皮を持つ獣…… 体長3メートルのバイオメインクーンはいかにも強敵であったが、南アメリカ共和国のパトロールを狩って名を挙げたハオユーとその一味には過小評価されていた。

 アサルトライフルの銃弾を楽々と絡め取る厚い被毛は、当然野獣に自然と備わった機能ではない。衝撃と熱に反応して異物を絡め取るように調整され、靭性を高められた遺伝子操作の産物である。
 その恵まれた体格と筋力を持つ獣は、胴体から離れたハオユーの首にじゃれながら「にゃーん(高い声)」と逃げる城兵に鳴いたという。

 泡を食った副官のズーシェンが、報酬の駆け引きなど放り投げて夏之梅に泣きつくのは時間の問題であった。

「だから私に任せろと言うたのに。あれには銃では勝てぬよ、この千年を生きた妖狐、夏之梅の力で捻じ伏せてやらんとの」

 森林迷彩柄の着物を纏い、黒く艶のある獣耳と箒の如き立派な尻尾を持つ小柄な用心棒は自信ありげに語る。
 彼女の周囲には、青い火の玉が数個浮かんでは消えていた。

 無論、千年を生きた妖狐などと言うのは明らかな嘘である。夏之梅は14歳の軍用バイオネコミミであるし、青い火の玉は妖術などでは無く、脳内移植デバイスによる必然性制御技術「デターミネーション・コントロール」により空中の可燃ガスが燃えただけだ。軍事機密故、知らぬ者には妖術に見えてもおかしくはないが。
 尻尾は整髪料で毎朝狐っぽくセッティングしている。

「八百年の間血を啜り続けた私の妖刀なら、あの毛皮でもひとたまりもないじゃろ」

 嘘である。夏之梅が手にしているのは2080年製の新作刀であり、刀身に鉄すら使っていない合金製サムライブレードなのだ。

「ともかく、外も騒々しいしの。さっさと仕事に行くから案内するんじゃ」

 夏之梅とズーシェンが待機していた兵舎のロビーから出ようとした途端、ガラスが割れる激しい音と共に血塗れの兵士が窓から飛び込んで来た。
 胸を裂く三条の爪痕は、明らかに致命傷であった。

「これはまずいの。とっくに城壁超えられてるのじゃ」

 香港ジオフロントから徒歩で数日の距離、南アメリカ共和国の偵察機から隠れるために乾いた谷に居を構える槍支城堡は堅牢ではあった。しかし、崖に爪を立てて登ってしまうような獣を相手にする前提で築城されてはいなかったのである。
 城堡の主を失った混乱の喧噪は、虚を突かれた城兵たちの阿鼻叫喚に置き換わっていった。

「にゃーあん(高い声)」
 城兵相手の遊びを終えて満足したレッドタビーのバイオメインクーンは、ねぐらに帰る前に顔を洗っていた。

 綺麗好きなバイオメインクーンは、返り血を放っておいて、毛皮の染みにするのは我慢ならないのだ。それが致命的な隙となった。

「喰らうのじゃ、狐火っ!」

 土嚢の影から夏之梅が投げたのは、粘着性燃料を詰めたガラス瓶であった。たちまち着火して炎に包まれるバイオメインクーン。
 防弾能力に優れた毛皮とは言え、高熱にて著しく劣化するのは生物の宿命であった。

 言うまでもないが、この狐火には妖力のかけらも籠ってはいない。

 突然の炎上に混乱したバイオメインクーンは、その巨大な爪を夏之梅に振りかざす。
 合金ブレードの鎬で一撃を逸らしつつも踏み込んだ夏之梅は、一息にバイオメインクーンの首を断っていた。

 崩れ落ち、燃える巨体を背に刃を払う夏之梅が誰にともなく呟く。

「哀れな奴とは思わんよ。戦争のために改造されて生み出され、もふもふころころしながら生きる事ができなかったとは言え、それ自体を哀れと言いたくはないのじゃ。生まれ出てからの楽しみ方は、まずは生まれてみんと決められんからの」
「え、私?私は妖狐じゃし関係ないし。バイオテクノロジーとか使ってない純度100%妖怪じゃし?オカルティックケモミミよ、オカルティック」
「まあ、これで銀の鈴亭への土産代も稼げた事じゃし。香港に帰るとするかの」

 斯くして自称ロリババア狐は去り。
 主を失いつつも生きながらえ、新たな城主となったズーシェンは、
「あいつの言うロリババア狐って言葉、神聖ローマ帝国みたいだな」
 と思いながらその背を見送ったのである。